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欧米での、ペット安楽死

最近、体調不良に加え、仕事が立て込みまくってまして、まったく時間が取れずにおりました<(__)>

さて、先日来、ずっと書こうと思っていた書評です。

新 ペット家族論―ヒトと動物との絆新 ペット家族論―ヒトと動物との絆
(1992/07)
ブルース フォーグル

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著者は、カナダ生まれ、執筆時点では、イギリス・ロンドンで獣医師をしているそうです。

この本を読んで思ったこと、日本って非常に独自の感性を持つ国なんだなぁ…です。
古代より、東西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、中央アジア、ロシアまで、常に民族、宗教が原因の紛争があり、常に侵略、戦争(経済でも軍隊でも)があり、差別あり虐待あり、今、何十年ぶりに世界史の本を読んでいるところなんですが、ホント、日本史は、まったりしているなぁ…という印象です。

アメリカ・カナダ・オーストラリアも、ヨーロッパから入植した人たちが築いた国、同じ文化や宗教が根付いた国で同じ系統と考えると、先進国中、日本ほど、侵略や異民族との接触がなかった国は、そうそう、ないんじゃないでしょうか?(あまり詳しくないので、断言はできないですが…--;)

明治・大正に入り、急速に欧米と親しくなっておりますが、未だ、相互理解が難しいのは当然だろうと、改めて思いました。

さて、著者ですが、1ページ目に「(欧米以外の)世界に、このような(人と動物との絆)があるとは、思ってもみないこと」とのこと。先に書いたように、日本のような、独自の歴史を有する国であっても、欧米人と同様、動物を大切にする心があると分かった、しかし、ペットと暮らすルールは、文化間で違う、と書いております。

「西欧のキリスト教思想では、すべての生き物に対する責任は、人間に託されております。西欧の飼い主が、年老いたペットが弱くなり、病気が悪化したときに、生命の終わり、つまり安楽死を選択するのは、この伝統的な文化の表れです」
(P2)

我が家の老猫も、西欧の感覚で言うと、完全に安楽死対象だったろうなぁと思います^^;
ほんの半年前、市販のフードのみを与えていたとき、鼻炎・関節炎が本当に酷く、これ以上、苦しめさせる方が可哀想だという結論になったでしょう。
食事を切り替えた(手作り食にした)お陰様で、今は、私のパソコン机の上まで甘えに来たり、あれもこれも味見したがったり、去年からは考えられないぐらい回復してくれましたが…

命って本当に不思議で、どういうきっかけで、どういう風に立ち直るかも分からないのに、西欧の人は、簡単に安楽死させちゃう、ということにもなりますよね。
咬傷事件を起こした犬も、すぐに安楽死してしまうようです、躾直す手間をかけたくないのでしょうね。

結局は、日本の、保健所への引取を依頼することと、何ら変わりはないと思います。
まぁ、税金使って人様に無責任に迷惑かけるよりは、西欧の安楽死の方がマシとは思いますが。

続く前書きでは、著者が1日に15件、患畜を診察したうち、1件はエサヤリ、2件は安楽死だったことを書いています。
安楽死2件のうち、1件は癌の末期、1件は隣家の犬を襲った危険犬の処分とのこと。
獣医師として、「人々とペットの関わり、獣医師の責任というのは、表面上よりもずっと複雑で重いものだ」と書かれております。

先に、安楽死に関する話をまとめてしまおうと思います。
この後、ペットと人間の関わりや、ペットの役割に関する興味深い考察があるんですが、次記事以降で書きたいと思っております。

この本のP105から、安楽死とペットロスについて書かれておりまして。
まずは、安楽死について。

この獣医師の元に来る患畜のうち、200匹に3匹は、安楽死させるとのこと。
西アメリカでは、200匹に4匹が安楽死となるそうです(P106)

「西欧社会では、ペットは法的に飼い主の所有物です。飼い主の好きなように扱ってよく、そこには殺す自由も含まれております」

ということは、よく愛誤が発狂している、”里親詐欺”と呼ばれる、虐待目的で譲渡を受ける人も、西欧諸国では、法律違反にならないのかも知れないですね…日本では、動物管理愛護法違反ですが。
欧米の法律は分からないので、何とも言えませんが…(カルフォルニア州には、動物を不必要に殺すことを禁止する法律があるそうですが)

この獣医師のところへ、「さまざまな気まぐれな理由で、ペットを殺すように頼む飼い主がいる」とも書かれております。
気まぐれな理由とは、引越しするから、訓練できないから、大きくなり過ぎて可愛くなくなったから、世話にお金がかかり過ぎるからなど、だそうです。

気まぐれではない理由としては、そのペットの存在が人命に関わる場合と(傷害も含む)、そのペットが長生きすることで、益をもたらさない場合のようです。
さまざまな安楽死の例を挙げておりましたので、要約してみました。

そして、西欧では、安楽死という選択肢があるせいで、ペットロスがより深刻になっている、とも書かれておりました。
どんな死に方であっても、自分が管理すべき動物が死を迎えた場合、多かれ少なかれ、後悔はあると思います。
まして、飼い主自身が死を望んだ場合は、自然死と比較して、後悔は大きいだろうと思いました。

そして、ペットロスは、周囲の(特にペットを飼っていない人)心ない一言によって、深刻化するそうな。
個人的に、ペットの死を理由に、自分の公的な役割(出社だったり、子供のお迎えだったり、介護だったりなどなど)を放棄する人に対し、確実に嫌悪感を抱きますが(軽蔑も。医師の診断書があれば別ですが)、口に出して責めることはできないですね…

一方、たかが犬とか猫とか、そういうことを面と向かって口走る人とは、絶対にお付き合いしたくないです。
人が大切にしているものを理解できない人は、その人自身以外のもの全てを、大切にしない・できない傾向があるからです。

話を本に戻します、著者によると、病的なペットロスに陥る人は、ペットへ感情的に依存したり、特別な関わりを求めていた人が多い、とのこと。
ある精神科医によると「フラストレーションを増大するような特別な状態にあるとき、人間はペットに依存することにより、その代替物に欲求を重ね合わせる。自己防衛を目的とする、このような依存関係は病的であり、これがなくなった場合、精神病的反応が生じ、長く続くこともあり得る」(P121)とも記載があります。
ペットに頼りすぎる人は、人間不信で苦しんでいる人、とも書かれてます。

個人的には、ペットに依存することによって、法を犯さず(適正飼育含む)、ある程度の社会生活が営め、自分で自分の食い扶持を稼げてるのなら、それはそれで良いのでは?と思います。
ペットロスも、自己責任ですしねぇ。痛い目見るのは本人ですから、他人がどうこう批判・非難することではない。
何かしら実害を被っているのなら、批判・非難も仕方ないことですが、実害がないにも関わらず、実害をもたらした人以外のペット愛好家まで批判・非難する人も、やっぱり、愛誤並に見識が狭いと思います。

ただ、ペットに感情移入し過ぎ、かつ人間不信の人で、人格障害や精神的な病気が疑われるような態度をとる人(特にネット上とかで)がおりますよね…? そういう人は、フツーの社会生活が営めているとは思えないので、ペットに依存するよりも、通院した方が良いだろうとも思いますケレド…
人に迷惑かけていない猫好きもいるのに(そういう人が、大多数と思います)、猫好きというだけで愛誤と決め付け、一方的に非難するようなことを書く人も、やっぱり、相当、歪んでるなぁとも思いますが。

なお、この本にも書かれておりますが、ペット自身も、飼い主との別離が原因で、病的な行動をとることがあるそうな。
私の祖母の飼い猫は、祖母の死後、祖母を探しまわって力尽きて、死んでしまったと聞きました。

犬猫の場合、自分の生活全てを、飼い主に任せているんですもんね…
飼い主がいなくなったことで、犬猫が、全てを失ったと鬱状態になるのは、如何ともし難いとも思います。

相当、長くなってしまいました、次、ペットの存在意義について、書きたいです。


ところで、我が家の場合ですが、死亡時の保険金の一部を、残された猫の譲渡に充てて欲しい旨、公証役場で作成の遺言書に盛り込む予定です。
幸いにして、北海道のNPO法人にて、それなりの金額を支払えば、引き取ってくれ、譲渡先を探してくれるそうですので。
私も、まだまだ生きたいとは思ってますが、人間、いつ、何があるか、分からないですから^^;

蛇足ですが、災害時、国や市の方針に従うつもりではおりますが、居所での想定し得る災害に対し、どんな状態でも最善の策をとれるように、車中泊も含め、一応、様々な準備もしています。
ただ、人様に迷惑を掛けたくないので、猫を置きっぱなしで避難はできませんね… 屋外に出たことのない猫たちですが、野良化する可能性だって、まったくゼロではないですし。
キツネやカラスのエサになってしまったら、それはそれで、害になりますしねぇ。
もっと嫌なのは、愛誤団体の無秩序エサヤリ等の二次三次被害。
警戒区域内も、相当、悲惨なことになっているそうですし。

ついでに言うと、避難所で猫を開放も、絶対に無理。小型犬の飼い主などが、犬も家族よ~とか言いつつ、犬に好き勝手させそうなので、怖くて、猫、出せません。動物病院でも、小型犬のノーリード、まかり通ってますから。
それに、猫嫌いの人から、八つ当たりや虐待を受ける可能性もありますしねぇ…
猫のことを考えても、キャリー内で過ごさせるのが、ベストじゃないですかねぇ……

人様に迷惑掛けず、その上で、個人的な事情について、どこまで許してもらえるのか、臨機応変に対応したいものです。
といっても、死火山に囲まれた山間地での暮らし(原発からも遠いです)、災害も、冬場の停電が最悪ぐらい、避難しなければならない程のことは戦時中でもない限り、そうそうなさそうです、単に、私が恵まれている、というだけのことですケド…

ただ、災害時の対応については、猫を飼う身として、本当にいろいろ悩み、苦しんでいるんですよ。
猫を放置しても、結局、問題を引き起こしますからね。
東日本大震災という痛い事例があるにも関わらず、何の準備もしていない人もいるでしょう(愛誤とか不適正飼育者とか)、猫のために避難しないという人の方が、まだマシに、私は思えますね。

私自身は、上記の通り、最悪、車中泊で何とかなりそう(エコノミー症候群で死んで笑われたにしても、自己責任。というか、一般的に、死亡以上の罰って、他にありますかね? 死者まで、バカにして笑いますか(呆)、非常識過ぎ、どんだけオツムがお偉いの?)、でも、勝手な行動で迷惑を掛けたくないから、基本、国や市の指示に従おうとは思ってますがね…

ちょっと気になる書き込みを読みまして、本気でムカついてますので、一応、記載してみました。
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| | 2013/08/05 08:21 | |

受診総数に占める、安楽・死の割合は参考になりました。
犬猫は、生涯の間に何回くらい獣医師にかかるのでしょうね。
ワクチンだけでも、十数年生きれば20回以上になるでしょう。
不・妊去・勢手術をすれば、メスは数回受診するでしょう。
駆・虫やちょっとした怪我病気でも、数回は受診すると思います。
アメリカ西部では、安楽・死・割合が2%とのことですが、もし生涯に平均50回獣医師にかかるのであれば、全ての犬猫の最後は安楽・死になります。
安楽・死がいかに多いか、裏付けられる数値です。

ところで「何が何でもノーキ・ル」や「人と動物の命の同列視は、キリスト教文化より日本文化の方が近いでしょう。
キリスト教では神>人>動物、という歴然とした順列があります。
動物は人から管理される存在です。
愛誤ブログで、「欧米はキリスト教の影響で、動物の命も人と等しく、動物であっても絶対にころ・さないという文化がある」というのは疑問です。
この方は、2年半米国留学をされたとのことですが、アメリカの殺・処分の多さなども全く知りませんし、動物愛護に関する英文の文献を一つでも読んでいるような気配がないです。

アメリカでは、犬猫は、公的・殺・処分だけでも高位推計で700万頭とも言われています。
それプラス私的な獣医師による安楽・死です。
ものすごい数です。
日本人ほど動物を含めて、命・を奪うことに抵抗がある民族は少ないでしょう。
歴史上、日本は一般民衆が大・虐・殺されたという例を見ません(他国に侵・略した南京事件などは外国で例外です)。
同一民族という特殊性もありますが、外国では、侵・略した他国の一般民衆は、子を・産める女性を除いてすべてを大虐・殺する民族・浄化の例はいくらでもあります。
日本は、明治より前は、獣・肉を食べることは禁・忌とされていました。

| さんかくたまご | 2013/08/05 08:23 | URL | ≫ EDIT

受診総数に占める、安楽・しの割合は参考になりました。
犬猫は、生涯の間に何回くらい獣医師にかかるのでしょうね。
ワクチンだけでも、十数年生きれば20回以上になるでしょう。
不・妊去・勢手術をすれば、メスは数回受診するでしょう。
ちょっとした怪我病気でも、数回は受診すると思います。
アメリカ西部では、安楽・し・割合が2%とのことですが、もし生涯に平均50回獣医師にかかるのであれば、全ての犬猫の最後は安楽・しになります。
安楽・しがいかに多いか、裏付けられる数値です。

ところで「何が何でもノーキ・ル」や「人と動物の命の同列視は、キリスト教文化より日本文化の方が近いでしょう。
キリスト教では神>人>動物、という歴然とした順列があります。
動物は人から管理される存在です。
愛誤ブログで、「欧米はキリスト教の影響で、動物の命も人と等しく、動物であっても絶対にころ・さないという文化がある」というのは疑問です。
この方は、2年半米国留学をされたとのことですが、アメリカのさつ・処分の多さなども全く知りませんし、動物愛護に関する英文の文献を一つでも読んでいるような気配がないです。

アメリカでは、犬猫は、公的・さつ・処分だけでも高位推計で700万頭とも言われています。
それプラス私的な獣医師による安楽しです。
ものすごい数です。
日本人ほど動物を含めて命・を・奪うことに抵抗がある民族は少ないでしょう。
歴史上、日本は一般民衆が大・虐・さつされたという例を見ません(他国に侵・略した南京事件などは外国で例外です)。
同一民族という特殊性もありますが、外国では、侵・略した他国の一般民衆は、子を・産める女性を除いてすべてを大虐・さつする民族・浄化の例はいくらでもあります。
日本は、明治より前は、獣・肉を食べることは禁・忌とされていました。

| さんかくたまご | 2013/08/05 08:29 | URL | ≫ EDIT

Re: タイトルなし

さんかくたまご様、コメント、ありがとうございます^^

> 犬猫は、生涯の間に何回くらい獣医師にかかるのでしょうね。

うちの老猫19歳ですが、年1回のワクチン以外の通院は、避妊手術を含めて、今まで20回前後だったと思います。
今後、もっと体調が落ち込む可能性があり、生涯の回数で考えると、2~3倍になりそうです。

老猫の半分の年齢のチンチラは、先天性疾患を持っているので、既に30回ぐらいは通院していると思います。
実家の猫は、チンチラと同じ年なんですが、ワクチン以外では、5回も通院していないんじゃないかな?

通院回数は、猫の生まれ持った体質や生活環境にも依りますが、飼い主自身の考え方でも変わると思います。
うちは、私が過保護なので^^;、割と通院回数が多い方かも知れないです^^;;

また、爪切りすら、獣医先生にお願いしているという飼い主もいるようでして…(その場合、年間10回以上の通院になると思います)
通常は、ワクチン接種時に、血液検査をして健康診断するというパターンが多いようです、なので、健康上、何も問題がなければ、年1回の通院のみかと思います。

> ワクチンだけでも、十数年生きれば20回以上になるでしょう。
> 不・妊去・勢手術をすれば、メスは数回受診するでしょう。

飼い猫の寿命は、10年から16年ぐらいだそうです、ワクチンが年1回(最初だけ2回)。
避妊・去勢手術、我が家では1回の通院で済みましたが、避妊の場合のみ、抜糸のため、2回通院としている獣医さんもいらっしゃるそうです(うちでお願いしている獣医先生は、抜糸、不必要な方法を採用しているそうです)。去勢は、1泊入院の1回のみというのを、よく見かけます。

> 安楽・しがいかに多いか、裏付けられる数値です。

本によると、著者の獣医師が、安楽しを勧めなかった事例が1件だけ載っており、飼い主が充分な世話を最期まで出来ると、著者が信頼したゲイカップルの飼い犬でした。
なお、ペットに大した疾患がないにも関わらず、獣医師と議論したいという欲求のために通院してくる飼い主たちについても書かれておりました。
安楽しの確率について、ご参考になれば…と本の抜粋、及び、私の経験、知識を書いてみました<(__)>

> 愛誤ブログで、「欧米はキリスト教の影響で、動物の命も人と等しく、動物であっても絶対にころ・さないという文化がある」というのは疑問です。

これは、日本文化の考え方じゃないでしょうか…? 仏教思想ですよね?
創世記で、人間は神に似せられて作られたとあり、神に似ているからこそ人間は特別である、だから、人間以外の動物の管理がOK的な、そういうイメージがあるんですが…(宗教、あまり詳しくないので、おかしなこと書いていたら、申し訳ないです>_<;)
イギリス等の飼い主たちが、如何に躊躇なく安楽しに踏み切るか、本を読んでいて抵抗を感じるぐらいです。
さすが、妄想系愛誤! ですね~…--;

> 日本人ほど動物を含めて命・を・奪うことに抵抗がある民族は少ないでしょう。

はい、日本人のさつ処分や安楽し等に関する感性は、特異だなぁと思いましたです。

> 歴史上、日本は一般民衆が大・虐・さつされたという例を見ません(他国に侵・略した南京事件などは外国で例外です)。
> 同一民族という特殊性もありますが、外国では、侵・略した他国の一般民衆は、子を・産める女性を除いてすべてを大虐・さつする民族・浄化の例はいくらでもあります。

はい、なぜここまで欧米人と日本人の感覚が違うのかが気になり、改めて世界史を学びなおしております。侵・略・戦争の歴史を持つ欧米人から見た日本人は、本当に甘っちょろく、さぞかしエキセントリックだろうなぁ…とも思いました^^;

> 日本は、明治より前は、獣・肉を食べることは禁・忌とされていました。

なるほど… だから、犬食・猫食の文化がなく、獣と見做されない鯨・イルカなど、海洋生物食文化が発達したんでしょうか…(沖縄には、琉球文化が別個、ありますものね。アイヌは獣・肉を食べる文化がありましたが(主にシカ。シカ肉、さっぱりして美味しいです)、蝦夷地には、日本人が入植するまで、犬猫がいなかった模様です) 戦時中・戦後の食糧難の際、犬食、猫食が、日本でもあったとも、どこかで読みましたが、獣・肉を食べる文化を持ちつつ、犬猫食が少ない欧米文化の方が、変わっているような気もします。
使役させた方が(またはペットとして慈しんだ方が)、利用価値が高かった、ということなんでしょうか…

犬猫を食べたいと思ったことは、生涯、ただの一度もないですし、一生、極力、口にしたくないとも思ってますが、食文化として考えて、ちょっぴり気になりました^^;

| mmStrayCat | 2013/08/05 14:40 | URL |















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