ピットブル考 その2
前記事にリンク、及び記事全文を貼らせて頂いた、swissinfo.ch、笠原浩美氏の、危険なのは犬?それとも飼い主?について。
こちらの記事にも、つづくから全文を貼らせて頂きますが、スイスでは2005年、ピットブルによる死亡事故がきっかけとなって、飼い主と犬の両方に調教訓練の受講を義務付ける法律が施行されたそうな。
以下、引用ですが
「連邦法によると、初めて犬を飼う人は犬の入手前に理論の授業を受け、入手後は1年以内に犬と共に調教訓練を受けなければならない。過去に犬を飼った経験のある人、あるいは以前から犬を飼っている人は理論の授業を受けなくてもよいが、調教訓練は必須となっている。
理論の授業では、病気、予防注射、犬の正しい扱い方、法的規制などを3時間半で学ぶ。調教訓練では、日常生活の中で犬を服従させる方法、普段とは異なる状況で犬に問題行動を起こさせないよう防ぐ方法などを4時間かけて学ぶ。これらの義務を果たさない飼い主は、警告を受け200フラン ( 約 1万6700円 ) の罰金を課される。」
罰金、一桁以上安くない?(10万円以上でOKでしょう)と思いますが^^;、日本にも、こういう法律があれば良いのに!と、絶叫したい気分です。
そして、
「現在連邦議会では、新たな連邦法案の審議が最終段階を迎えている。この法案はまたしても危険種の特定と禁止をしていない。法案の特徴は、咬傷事故に備えてすべての飼い主に対人保険への加入を義務付けていることで、これによって飼い主の責任と義務を明らかにしている。」
北海道の山間地のこのど田舎の一軒家で私が絶叫したとしても、せいぜいうちの猫たちが怯え、旦那が起きてしまって困った顔をするぐらい。
とはいえ、ご近所に聞こえてしまっても大迷惑なので(旦那にも申し訳ないですし…)行動には絶対に移しませんが絶叫したいです、やはり、スイス、素晴らしいなと、本当に心から思ってしまいます。
日本にも、多々、ペットの保険があるのですが、ペット賠償責任特約を付けられる保険もありまして。
私が検索して、真っ先に出てきたのがアニコム損害保険株式会社だったのですが、お花畑(ピットブル飼ったと言っている私の知人のこと)は、こういうものに加入しているんだろうか?
そしてこの記事は、咬傷事件が起こる理由が、犬種にあるのか、飼い主にあるのか、と続き…
ぜひ、リンクや、この記事のつづくに載せた全文を読んで頂きたいのですが、過去17年の間スイスで犬の調教師として何千匹もの犬を見てきたプリニョ・ブラチェリ氏によると、
「問題の1割は犬のせいかもしれませんが、9割は飼い主の責任です。犬の性質も知ろうともせず、ただ自分のファッション・アイテムの一つにするために購入し、調教訓練を全く受けない飼い主がいるのです」
とのこと。
私がここで、知人をお花畑呼ばわりする程、忌み嫌う一因は、お花畑が、自身に都合の良い情報しか取り入れていない、リスク管理が出来ていない、という部分だと、改めて思い知りました。
例え、ネット上に、自身に都合の良い情報が多数あったとしても、殊、他人への身体被害へ直結する問題が起こる可能性があった場合、より都合の悪い情報について調べ考え、でき得る対策すべて、行うべきではないのか。
お花畑から、ピットブルの飼育を始めたと聞いた際、私は何度も、「躾、大変でしょ?」と言ったのですが、実のある返答は得られませんでした。
私は、犬の飼育について詳しくないですし経験もありませんが、猫の飼育においても幼齢からの躾が重要であり、猫を適度に抑圧し、適度に放任することが(年齢や理解度によって、抑圧と放任の比重が変化します)、最も猫と私と暮らしやすくなる方法だと知っています。
犬と猫との躾けの違いは多々あるかと思いますが、幼齢時の抑圧の具合が、今後の生活に多大な影響を与えるであろうことは、簡単に想像できます。
なのにお花畑の返答は、「うちの犬、賢いの」、のみ。
またプリニョ・ブラチェリ氏は
「犬を飼うことは、人間の子どもを育てることに似ているとブラチェリ氏は語る。
「やってはいけない事の限度をはっきり設定して、犬がそれを越えたら言うことを聞くようになるまで『ノー』とその都度しっかり教え込まなければなりません。」
とのことだそうな。
我が家の場合、猫たちは、私がダメということに対し、ダメであるという認識を持っています。私には敵わない、私が非常に怖い(”でも最も気持ちを汲んでくれる、最も大切にしてくれ信頼出来る、だから一緒にいたい” こういう感覚が、犬と猫との違いなのかも知れないですね。だから、年齢に関わらず、猫の馴化が可能なのだろうと思います)、そういう傾向がありまして、爪切りだったりブラッシングだったりお風呂だったり通院だったりは、私しか出来ません。だから、禁止行為も、私がいないとき・見ていないときに、やらかします。
犬の場合は分かりませんが、やはり、飼い主への信頼とは別に、絶対に飼い主には敵わないと思うような恐怖心がなければ、制御など出来ないのではないだろうかと思うんですが、どうでしょうか?
お花畑の話を聞いていると、賢くて可愛いぬいぐるみの話を聞いているような感じがあります。
私自身が生で感じる、私の猫の自尊心や反発、恐怖心、好奇心、その時々の様々な感情、豪雨や雷が酷い日など、私をグループの最高位として信頼し傍に来たがり体を寄せ安心する雰囲気などとは、かけ離れている感じがします。
まして、お花畑の犬は、闘犬と呼ばれ、各国で危険視される犬種です。
日本でも、飼い主自身が、アメリカンピットブルテリア American Pit Bull Terrier 世界最強の犬というサイトにおいて、
「よくピットブルは危険ですか?と聞かれます。もちろん闘犬用に数百年も改良された犬種ですからその攻撃能力はハンパではありません。その問いの返答として私は「よく言うことを聞く猛獣と思って下さい」と言ってます。強力な動物は注意しておくに越したことはありません。」
と答える程。
そういう犬種を、自身の都合の良い情報だけを信頼し、必要な躾もせず、無頓着に飼育することは、最低最悪ではないだろうか。
その犬が一生涯、咬傷事件を起こさなければ、それはそれで非常に喜ばしいことですが、そういう僥倖だけを願うのは、飼い主として、非常に愚かです。
もし咬傷事件が起こった際、被害者は気の毒過ぎますし、犬も殺処分対象となるでしょう。
飼い主であるお花畑、またはお花畑の息子は、犯罪者となるしょう。その身内も、同じく、後ろ指さされるでしょうね。
そんな事故の起こる、その程度でしか知名度のない北海道山間地のこの町は、全国で、どういう印象を与えるんでしょうね?
そして、全国のピットブルを適正飼育している愛好者は、どれほどの迷惑を被るのでしょう…
お花畑には、将来、起こる可能性の高い事故への、上記のような懸念が何もない。
私自身は、懸念すらないという事実が、最も、許せなく気持ち悪く、絶対に許せなく感じます。
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